う〜ん…ナンカ…今ひとつわからんな…🤔
つまりは鶴田より藤波のが上なんだよね!
高村期待してたけどねー 原現役最終打席の大野はワンポイントで広島の粋な計らいだった
なにがおもしいかってー最高ですー
ユセフトルコなんてイカマサ、嘘つき親父だろ。w
ジャイアンツファンですけどあの頃の試合展開を考慮すると大補強してたけど投打共に活躍した年ってそんなになかったと思いますよ。 打線に関してはけが人が出るのは仕方ないとして、あれだけの戦力を持ちながら扱いきれなかった監督の手腕がなかったという事ですかね 93年から01年が優勝は3回でしたかね! 日本一は2回 あれだけ大補強しておいて第二次政権監督でこの成績はどうかと思います。 野村克也がヤクルト政権時は4回優勝 日本一は3回です いかに、野村克也が頭脳で野球をしていてかわかりますよね。 長嶋茂雄は頭脳でなくお客様を喜ばせたい野球をしていたかですね。 長嶋茂雄ファンは野球より長嶋茂雄を観ていたいとしか思えませんね。特に徳光和夫がその例ですよ! あの人は本当のジャイアンツファンではないです。 長嶋茂雄が好きなだけの人ですのでジャイアンツファンと名乗って欲しくないですね
武上打撃コーチが記者団に西武から清原和博をとるしかないよ。と声を荒げました。
ヤクルトファンやけど、この年が、1番スッキリした年❤ 糞巨人に広沢、ハウエル あげて、ブロスのノーヒットノーラン、目の前で胴上げ❤
後藤選手はたかしでは無くこうじと言います
お笑い芸人、星の数と思いますが、コントレオナルドがNO1と思われる方 結構多いのでは、でも若くして亡くなれ本当に残念です。
原さんの引退試合は良いもんですね!
20:42 これハウエルは相当不服だったみたいっすね。
敵ながら、ブロスのノーヒッターは惜しい面もあるよ。ランナーが死球ひとりだけだから。
3代目はコボちゃんやミルモでポンを思い出す。
スターになるかどうかはそういう理屈じやないんだよなあ やっぱり顔がいいかどうかも重要な条件のひとつ 猪木や藤波の若い頃はやっぱり顔が良かった 対して木村や鶴田は顔がイマイチだった
オモロい
今になれば酷いナンバー2だったな。当時はわからんかった。 レスリングか柔道ならだいぶ違ったけどね。
79鶴田、藤波、マスカラス対マサ斎藤、高千穂、戸口、90鶴田、谷津対木村健、木戸、79年は鶴田、天龍対藤波、長州!90年は鶴田、谷津対藤波、木村健、または藤波、木戸だったらといまでもおもいます!
17:28 悪質ジャンパイア
懐かしい。続きをぜひお願いします
この年と2年後の開幕シリーズ 東京ダービーになったのはいいが、いずれも巨人の黒歴史だが、唯一の明るいネタは97年の第3戦の桑田さんの復活。
入門当時はアマレスの先輩サンダー杉山がいて、帰国してからもデストロイヤーがいたから、多少のいびりがあっても大事ではなかったはず。
最初の解説いらん
そして、この年の後藤は、まさに、シンデレラボーイだった!! 中日との試合でのホームランのインパクトは今でも鮮明!!! なんだかんだ長嶋さんは、補強も派手だったけど、後藤や大や岡島など、育成も上手かったイメージはある✨
この年の巨人は、兎にも角にも"桑田さん"でしたね。 開幕2戦目の桑田さんの危険球退場がなければ、もしかしたら、少なくとも、スワローズの躍進はなかったかもしれないし、桑田さんのケガさえなければ、チームに貯金もたらされて優勝まで行ってたかもしれないし。 とにかくたらればなんだけど。 でも、それだけシーズンを左右するくらいの桑田さんは投手だったって事だよね! 1997年の斎藤雅しかりね!
人生の裏側を見て来た人だからこんな面白いコントが出来たのでしよう。熊さん、長生きして欲しかった。✌👍👊
増田俊也氏の「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読んで感じたのは「木村政彦はなぜ自ら死を選ばなかったのか」ということ 柔道で15年間無敗を誇り、常に負ければ腹を切る覚悟で臨んでいた木村が、いくらプロレス対決とはいえ、完全に油断しきっていたうえ力道山の罠に嵌められ無様に敗北した そういう自分の不甲斐なさを恥じるのではなく、力道山への復讐で一時は刃物を持ち歩き命をつけ狙い、生涯ずっとその敗北を悔やみ続けた 不世出の柔道家としての木村政彦は力道山に負けた時に既に死んでいたのだろうと感じた
交通違反。これと同じですけど、内容がもっと面白いのが見たいです。。スピード違反で、信号機で、飲酒で、無免許で、賄賂で。別のテープがあるわけだ。それを見たいですよ。。理屈が面白いからです。
桑田投手の危険球退場が痛かった😢
この年の球界の流れを決めたとされる1球ですよね
@北川裕治-l4g 偉い!
与党も野党もこの頃は全力で政治家だったな
今の芸人は笑わせる事ができない もっと勉強してお客さんを楽しませて呉れよ‼️
猪木より鶴田の方が強いよね💪
お父様が社会党員だったのは意外でしたが だからこそ社会派のネタを盛り込むセンスに長けていたのでしょう
槙原さんの完全試合は凄いですねぇ!
ゴジラ松井が一番カッコいい!
出来ればスチールを入れずに、通しで動画を見たかった。
なっつかし〜😊 熊さん早く逝きましたねぇ😢 まだまだコレからだったのに…熊さんの死後、石倉三郎さんが俳優になるとは、思っても無かったです😉
二人のコントを観ているとやな事も忘れられるよ!熊さんもっと生きていて欲しかったな〜😅
これが馬場の全日本に時代を経てブーメランとなってしまうのもあるよな・・・・・。
良好な人間関係を築いていたのは猪木の方だけどね。 猪木は日プロ時代、同じ釜の飯を食った大木や上田たちとは終生良好な関係だった。新日興した後に、この二人とやり合った時だって、その関係は揺らぐ事無く、上田とは日プロ解雇時に・・・というのはあったけど、その後和解し、二人が晩年の時、見舞いに訪れた猪木に対し、二人とも涙を流して歓迎したという。 しかし、馬場に対しては、やむを得ない事情もあったとはいえ、馬場死去のその時まで、大木と上田の不信と溝は埋まることは無かった。馬場は外人レスラーと身内には優しかったけど、同僚達には・・・・と思うと、猪木には友人が出来ても、馬場は孤独だった。そんな馬場に対しても、猪木は世間が云う程酷い関係では無く、付き人時代の大仁田が、プライベートで馬場と猪木が談笑する光景を見て衝撃を受けたのだから。 馬場の著作の『十六文の熱闘人生』でも、そういうレスラー批評(無論、猪木には冷たい態度)が出ていたけど、それは馬場のバックの元子達の加筆や修正が酷かったように思う。
同じ背中を観ていても 受け取り方は人それぞれ... 木村さんを通しての鶴田さんへの評価はよく理解できます🤔
1976年の噴火の時は12歳で、噴火湾を挟んだ有珠山の対岸辺りにに住んでいました。 今年は前回の噴火から25年になりますね。 そろそろではないでしょうか?… 有珠山の主治医の岡田先生がご健在なので心強いです。
この前年に木村政彦先生の柔道の授業を受けていました。 ある日木村先生が天覧試合に優勝したところまでの話を授業としてしてくれました。流石にその後の話はしなくて、例の本で知る事になりました。 私はその本を読んで、木村政彦ゴッコとしてブラジリアン柔術を習い始めました。
ロッキード事件 凄かったな〜熊さんの田中角栄 面白くって笑ってしまうね〜流石に熊さん良かったな〜😅
ジャンボ鶴田は確かにタフで強かったな。1度は藤波との試合を見たかったよ。
熊さん石倉さん 笑わせるのは天下一品だね 時間が経つと又、観てしまうね😅
原さんも江川さんも中畑さんも若いですねぇ!
猪木の自画自賛唯我独尊我田引水精神 でもプロレスは1番上手い
プロレス側の言っていることがいちいち面白い、自分に都合の悪いことは信用ならないと頭から断罪したり、ものはいいようみたいな感想もあるし吹き出してしまうような感想もあるし中にはほとんどギャグに感じるものもあるし、少しでも猪木に有利な情報には飛びつくし、闇のプロレス側にとってはこんな風に見えるのかと参考になります、 まぁ猪木は乱世で活躍出来るタイプではないので興味はない、乱世型の人間ってリングの試合にはあまり興味は示さないんですよ、極真の試合にも興味は示さない、 私はウイリーにも興味はないです、ウイリーは師である大山茂176センチ60キロに正拳突き一撃で喉元の骨を砕かれ何度ものばされているし、大山茂は大山倍達に全く期待されておらずアメリカにとばされる、大山茂はすでに全盛期を過ぎた大山倍達に相手にもされないし ある時演武かいで大山茂が大山倍達に刃物を持って向かっていくというのがあったそうだかその練習のとき大山茂が躊躇していると大山倍達に君に刺されるほど私はもうろくしていないよと笑われたそうた、まぁ極真ファンの間では極真最強は大山倍達に異を唱えるものはいない、こんな話をすると闇のプロレス側は頭から嘘と決めつけたりあるいはスルーするんだろうな でも大山倍達は若いころ武術空手の船越に破れている 実は極真はスポーツ空手であって本物の武術ではないのだ 極真の世界チャンピオンだった数見やライバルだった岩崎は武術空手の宇城けんじと戦い手も足もでなかった 自分がいままでやってきたものは何だったんだと鬱なったそうだ 武術空手は沖縄で盛んである 岩崎は今は沖縄に渡っている 武術空手は中国武術の白鶴拳からきている これは南派拳で中国で有名なのは北派拳なので私は南派拳の情報はない北派拳で使うのはけいだが松田隆智さんが習いに行った時日本人はけいを知らないのかいと言われたそうだ 私もかつてこのけいにチャレンジしたことがある 馬歩をやるのだがこれが非常にきつい 本当は5分は耐えなくてはならないのに私は2分しかもたなかった それでもやっていると腕に砂が詰まったように重くなり充実した心地良い気持ちをあじわった。なぜ私が馬歩に手を出したかというとベンチ102.5キロスクワット130キロという情けない数字しか出せず悩んでいたからだ 王向斉に学んだ澤井健一は王向斉を稲妻のような速だといい日本に帰って大山倍達の動きを見るとロボットに見えたそうだ、大山倍達の速さは極真の中では1番速い まぁ私は極真みたいなスポーツ空手に興味はない なおあらかじめ断っておくがけいの練習はプロレスファンには向かない、これは筋トレみたいにすぐに効果が出るようなものではなく非常にきつい馬歩を5年も十年もやってやっと身につく代物である、プロレスファンがやったって一年もやって何の効果もですこれはインチきと決め付けるのがオチだ、もっとも今や昔の様な中国武術の名人はいない、中国でも台湾でも若い人はもはや学ばない、さんだなんかをやっている ある中国武術家がいった 今や中国の伝統武術は滅びようとしている、日本で中国武術を学ぶものもいるがもちろん本物ではない 速さが全く無いので見てすぐにわかる、きつい馬歩なんてやってないだろう 馬歩をやらない中国武術などなんの役にも立ちはしない、まぁこんな話しをすると闇のプロレスファンは例の如く頭から嘘と決めつけるか無視するんだろうな笑
これは繰り返し聴きたいなあ。👏🔥。
う〜ん…ナンカ…今ひとつわからんな…🤔
つまりは鶴田より藤波のが上なんだよね!
高村期待してたけどねー 原現役最終打席の大野はワンポイントで広島の粋な計らいだった
なにがおもしいかってー最高ですー
ユセフトルコなんてイカマサ、嘘つき親父だろ。w
ジャイアンツファンですけどあの頃の試合展開を考慮すると大補強してたけど投打共に活躍した年ってそんなになかったと思いますよ。 打線に関してはけが人が出るのは仕方ないとして、あれだけの戦力を持ちながら扱いきれなかった監督の手腕がなかったという事ですかね 93年から01年が優勝は3回でしたかね! 日本一は2回 あれだけ大補強しておいて第二次政権監督でこの成績はどうかと思います。 野村克也がヤクルト政権時は4回優勝 日本一は3回です いかに、野村克也が頭脳で野球をしていてかわかりますよね。 長嶋茂雄は頭脳でなくお客様を喜ばせたい野球をしていたかですね。 長嶋茂雄ファンは野球より長嶋茂雄を観ていたいとしか思えませんね。特に徳光和夫がその例ですよ! あの人は本当のジャイアンツファンではないです。 長嶋茂雄が好きなだけの人ですのでジャイアンツファンと名乗って欲しくないですね
武上打撃コーチが記者団に西武から清原和博をとるしかないよ。と声を荒げました。
ヤクルトファンやけど、この年が、1番スッキリした年❤ 糞巨人に広沢、ハウエル あげて、ブロスのノーヒットノーラン、目の前で胴上げ❤
後藤選手はたかしでは無くこうじと言います
お笑い芸人、星の数と思いますが、コントレオナルドがNO1と思われる方 結構多いのでは、でも若くして亡くなれ本当に残念です。
原さんの引退試合は良いもんですね!
20:42 これハウエルは相当不服だったみたいっすね。
敵ながら、ブロスのノーヒッターは惜しい面もあるよ。ランナーが死球ひとりだけだから。
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79鶴田、藤波、マスカラス対マサ斎藤、高千穂、戸口、90鶴田、谷津対木村健、木戸、79年は鶴田、天龍対藤波、長州!90年は鶴田、谷津対藤波、木村健、または藤波、木戸だったらといまでもおもいます!
17:28 悪質ジャンパイア
懐かしい。続きをぜひお願いします
この年と2年後の開幕シリーズ 東京ダービーになったのはいいが、いずれも巨人の黒歴史だが、唯一の明るいネタは97年の第3戦の桑田さんの復活。
入門当時はアマレスの先輩サンダー杉山がいて、帰国してからもデストロイヤーがいたから、多少のいびりがあっても大事ではなかったはず。
最初の解説いらん
そして、この年の後藤は、まさに、シンデレラボーイだった!! 中日との試合でのホームランのインパクトは今でも鮮明!!! なんだかんだ長嶋さんは、補強も派手だったけど、後藤や大や岡島など、育成も上手かったイメージはある✨
この年の巨人は、兎にも角にも"桑田さん"でしたね。 開幕2戦目の桑田さんの危険球退場がなければ、もしかしたら、少なくとも、スワローズの躍進はなかったかもしれないし、桑田さんのケガさえなければ、チームに貯金もたらされて優勝まで行ってたかもしれないし。 とにかくたらればなんだけど。 でも、それだけシーズンを左右するくらいの桑田さんは投手だったって事だよね! 1997年の斎藤雅しかりね!
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増田俊也氏の「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読んで感じたのは「木村政彦はなぜ自ら死を選ばなかったのか」ということ 柔道で15年間無敗を誇り、常に負ければ腹を切る覚悟で臨んでいた木村が、いくらプロレス対決とはいえ、完全に油断しきっていたうえ力道山の罠に嵌められ無様に敗北した そういう自分の不甲斐なさを恥じるのではなく、力道山への復讐で一時は刃物を持ち歩き命をつけ狙い、生涯ずっとその敗北を悔やみ続けた 不世出の柔道家としての木村政彦は力道山に負けた時に既に死んでいたのだろうと感じた
交通違反。これと同じですけど、内容がもっと面白いのが見たいです。。スピード違反で、信号機で、飲酒で、無免許で、賄賂で。別のテープがあるわけだ。それを見たいですよ。。理屈が面白いからです。
桑田投手の危険球退場が痛かった😢
この年の球界の流れを決めたとされる1球ですよね
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与党も野党もこの頃は全力で政治家だったな
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猪木より鶴田の方が強いよね💪
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槙原さんの完全試合は凄いですねぇ!
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これが馬場の全日本に時代を経てブーメランとなってしまうのもあるよな・・・・・。
良好な人間関係を築いていたのは猪木の方だけどね。 猪木は日プロ時代、同じ釜の飯を食った大木や上田たちとは終生良好な関係だった。新日興した後に、この二人とやり合った時だって、その関係は揺らぐ事無く、上田とは日プロ解雇時に・・・というのはあったけど、その後和解し、二人が晩年の時、見舞いに訪れた猪木に対し、二人とも涙を流して歓迎したという。 しかし、馬場に対しては、やむを得ない事情もあったとはいえ、馬場死去のその時まで、大木と上田の不信と溝は埋まることは無かった。馬場は外人レスラーと身内には優しかったけど、同僚達には・・・・と思うと、猪木には友人が出来ても、馬場は孤独だった。そんな馬場に対しても、猪木は世間が云う程酷い関係では無く、付き人時代の大仁田が、プライベートで馬場と猪木が談笑する光景を見て衝撃を受けたのだから。 馬場の著作の『十六文の熱闘人生』でも、そういうレスラー批評(無論、猪木には冷たい態度)が出ていたけど、それは馬場のバックの元子達の加筆や修正が酷かったように思う。
同じ背中を観ていても 受け取り方は人それぞれ... 木村さんを通しての鶴田さんへの評価はよく理解できます🤔
1976年の噴火の時は12歳で、噴火湾を挟んだ有珠山の対岸辺りにに住んでいました。 今年は前回の噴火から25年になりますね。 そろそろではないでしょうか?… 有珠山の主治医の岡田先生がご健在なので心強いです。
この前年に木村政彦先生の柔道の授業を受けていました。 ある日木村先生が天覧試合に優勝したところまでの話を授業としてしてくれました。流石にその後の話はしなくて、例の本で知る事になりました。 私はその本を読んで、木村政彦ゴッコとしてブラジリアン柔術を習い始めました。
ロッキード事件 凄かったな〜熊さんの田中角栄 面白くって笑ってしまうね〜流石に熊さん良かったな〜😅
ジャンボ鶴田は確かにタフで強かったな。1度は藤波との試合を見たかったよ。
熊さん石倉さん 笑わせるのは天下一品だね 時間が経つと又、観てしまうね😅
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猪木の自画自賛唯我独尊我田引水精神 でもプロレスは1番上手い
プロレス側の言っていることがいちいち面白い、自分に都合の悪いことは信用ならないと頭から断罪したり、ものはいいようみたいな感想もあるし吹き出してしまうような感想もあるし中にはほとんどギャグに感じるものもあるし、少しでも猪木に有利な情報には飛びつくし、闇のプロレス側にとってはこんな風に見えるのかと参考になります、 まぁ猪木は乱世で活躍出来るタイプではないので興味はない、乱世型の人間ってリングの試合にはあまり興味は示さないんですよ、極真の試合にも興味は示さない、 私はウイリーにも興味はないです、ウイリーは師である大山茂176センチ60キロに正拳突き一撃で喉元の骨を砕かれ何度ものばされているし、大山茂は大山倍達に全く期待されておらずアメリカにとばされる、大山茂はすでに全盛期を過ぎた大山倍達に相手にもされないし ある時演武かいで大山茂が大山倍達に刃物を持って向かっていくというのがあったそうだかその練習のとき大山茂が躊躇していると大山倍達に君に刺されるほど私はもうろくしていないよと笑われたそうた、まぁ極真ファンの間では極真最強は大山倍達に異を唱えるものはいない、こんな話をすると闇のプロレス側は頭から嘘と決めつけたりあるいはスルーするんだろうな でも大山倍達は若いころ武術空手の船越に破れている 実は極真はスポーツ空手であって本物の武術ではないのだ 極真の世界チャンピオンだった数見やライバルだった岩崎は武術空手の宇城けんじと戦い手も足もでなかった 自分がいままでやってきたものは何だったんだと鬱なったそうだ 武術空手は沖縄で盛んである 岩崎は今は沖縄に渡っている 武術空手は中国武術の白鶴拳からきている これは南派拳で中国で有名なのは北派拳なので私は南派拳の情報はない北派拳で使うのはけいだが松田隆智さんが習いに行った時日本人はけいを知らないのかいと言われたそうだ 私もかつてこのけいにチャレンジしたことがある 馬歩をやるのだがこれが非常にきつい 本当は5分は耐えなくてはならないのに私は2分しかもたなかった それでもやっていると腕に砂が詰まったように重くなり充実した心地良い気持ちをあじわった。なぜ私が馬歩に手を出したかというとベンチ102.5キロスクワット130キロという情けない数字しか出せず悩んでいたからだ 王向斉に学んだ澤井健一は王向斉を稲妻のような速だといい日本に帰って大山倍達の動きを見るとロボットに見えたそうだ、大山倍達の速さは極真の中では1番速い まぁ私は極真みたいなスポーツ空手に興味はない なおあらかじめ断っておくがけいの練習はプロレスファンには向かない、これは筋トレみたいにすぐに効果が出るようなものではなく非常にきつい馬歩を5年も十年もやってやっと身につく代物である、プロレスファンがやったって一年もやって何の効果もですこれはインチきと決め付けるのがオチだ、もっとも今や昔の様な中国武術の名人はいない、中国でも台湾でも若い人はもはや学ばない、さんだなんかをやっている ある中国武術家がいった 今や中国の伝統武術は滅びようとしている、日本で中国武術を学ぶものもいるがもちろん本物ではない 速さが全く無いので見てすぐにわかる、きつい馬歩なんてやってないだろう 馬歩をやらない中国武術などなんの役にも立ちはしない、まぁこんな話しをすると闇のプロレスファンは例の如く頭から嘘と決めつけるか無視するんだろうな笑
これは繰り返し聴きたいなあ。👏🔥。